第40回 受験を通じて平成を振り返る

受験を通じて平成を振り返る 

 平成の始まりは、沖縄県内の中学受験隆盛の始まりでもあります。それまでの中学受験は、わざわざ県外まで行って挑戦するものでした。

 それが平成の始まった頃には、県内の私立高校だけでなく、県立の開邦・球陽高校といった学力重点校も実績を伸ばし、沖縄でも学力向上が大いに期待できるようになりました。

 すると、平成不況の影響もあってか、県外への進学熱は冷めていき、あわせて県外受験組の数も減っていきました。その中で、昭和薬科高校が高校入試を廃止(中学受験のみとなる)し、今の中高一貫校となったのが、今から15年ほど前になります。これを機に沖縄の進学熱は、県外から県内、そして高校受験から中学受験へと移っていきました。

 昨今は開邦・球陽中の開校とともに、中学受験熱がさらに上昇しています。ただその一方で、沖縄県全体における難関大学の合格実績は、長い間、頭打ちの状態にあり、医学部や旧帝大の合格者総数はほとんど変わっていません。

 県内の中学受験が盛り上がる一方で、大学合格実績に好影響があまり見られないのはなぜでしょうか。一つの原因として考えられるのは、子供たちの学習意欲のピークが、中学受験の12才で止まっているからだと思います。中学受験で燃え尽きています。20年前と比べても、中学生が本当に勉強しなくなりました。

 皆さん忘れてはいけません。中学受験はただの通過点です。子育てのゴールではありません。親にその心構えが足りないと、子供は中学受験が終わると同時に、一気に勉強から遠ざかってしまいます。実際、中高一貫校に合格した生徒でさえ、難関大学に進学できるのは、その一部に過ぎません。

 目前には、大学入試制度の大きな改革も迫っています。目先の結果に囚われず、10年、20年先を見据えて頑張って欲しいものです。