第79回 「おまえはゼロじゃない」(恩師の遺した言葉)

「おまえはゼロじゃない」(恩師の遺した言葉)

 

『おまえはゼロじゃない』

 今回のタイトルは、私の高校時代の数学担当であったK先生が、ある生徒にかけられた言葉です。この言葉のエピソードをお話しする前に、まずはK先生について触れておきます。先生の授業は、いつもただならぬ緊張感が漂っていました。先生は怒鳴るわけでもなく、高圧的でもありませんでしたが、何となく近寄りがたい、そんな雰囲気の持ち主でした。先生の作るテストは難しいと有名で、東大入試に出てくるような超難問が普通に出題され、私もたびたび苦労させられました。私の先生との思い出は厳しさそのもので、卒業まで会話することさえほとんどありませんでした。

 先日、断捨離ついでに、母校の同窓会誌に目を通していたところ、件のK先生の話が掲載されていました。担任されていたクラスの卒業生A氏(現在40代)が寄せた、K先生への追悼文です。(K先生は5年前に逝去されました)

 A氏いわく、「私は数学が苦手で、特にK先生のテストは難しすぎて何も書けず、いつも白紙で提出していました。返却された白紙答案には、なぜか3点とか4点といった点数がついていました」

 A氏は卒業後、K先生と偶然会うことがあり、少し世間話をした後、疑問に思っていた白紙答案に「0点」と書かなかった理由を尋ねました。先生は少し笑ってこう答えたそうです。「ゼロというのは、インドの数学で何も無いという意味だから。Aが何も無いなんて誰にわかるの」先生の言葉は当時19歳のA氏に深く刻み込まれました。A氏は一浪の末、国立大医学部に合格されたそうです。

 A氏は追悼文で「思うようにいかず悩んでいる全ての生徒に、自分が貰った『おまえはゼロじゃない』という言葉、そのまま伝えたい」と結んでおられました。

 多くを語らず、無骨で厳しいK先生。そんな厳しさのなかに隠された生徒への慈しみ。古き良き時代の師弟の姿に、私自身も励まされ、母校への郷愁に駆られました。

 K先生、どうか安らかにお休みください。